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最近、どこかの国の大統領は、2枚舌外交だと言われることが多くなった。
これは、イスラエルの東部のパレスチナ自治区にユダヤ人の入植が進んでいるにもかかわらず、イスラエル支援を表明し、ウクライナ、ロシア間における力による領地の現状変更は許されないと唱えてきたのと矛盾しているためであるが、結局のところ、長年人間社会で生活し、ある程度の地位を築いてきた者は、このような無様な為体を晒すことになるのである。
どこかの国のトップがそうであるように、これが、権力者の慣れの果てというのが、ようやく明白になってきている。
どの権力者も、いくら格好の良いことを言っていたとしても、この程度のものだと自覚しなければいけない。
そして、権力を持たない者たちも、この権力者の自己顕示欲と違った堅持欲によって、あまり柵の影響を受けていない子供、中には純真無垢な子供もいるかもしれないが、その子供たちが犠牲になっているのを認識しないといけない。
全ての人間は、道路交通法を教わった時の、信号が青に変わってから左右を確認し横断歩道を手を挙げて渡りましょう、という教えを守って、しっかり守っていた幼少期から、年齢を重ね毒を含んだえさを食べて成長したフグのように、変に拗ね、平気で信号無視をして道路を横断するようになるのである。
成長する過程で、愚かな者と強いつながりを持つと、洗脳されたかのように、そのものの影響を受け、狂った判断をすることになる。
今の、ロシア人のように。
過去のナチスドイツのように。
そして、このままでは、そのナチスドイツの狂っていたトップが、先見の目が合ったかと思われかねない状況でもある。
ある同じ人種が集団を成せば、世界の如何に脅威を与え兼ねない、と思われる危険さえも秘めている。
どの権力者も権力を掴むと限度を超えてしまう。
そして、引き返せなくなり、神からの報いを受けることになるのである。
神の望むところは、真っ新なこころ。
天から授かった心が、自我に目覚め始めた時のように。
狂った権力者は、それをないがしろにしてしまった。
神の希望を踏みにじったのである。
心の解放の究極は、全てを手放し無垢な気持ちになって物事を考える、ということである。
つまり、自我が芽生えるときの境界まで戻って、その時の気持ちと向き合え、ということ。
教えで、使徒が広がったのは、それぞれ己の話を聞いて広めてくれという自己顕示欲を満たすのに都合の良い者を抱え込み、膨れ上がっていったに過ぎない。
己の話す言葉によって、人々を幸せにできると強い意志を持って話したとしても、それを強く望んでいればいる程、自分の言葉がどれほどの影響力を与えるかが分かる。
どの宗教も、個々の心の中で豊かになることを望んでいるだけで、それ以上のことを望んでいると思うのは、後で付け加えられたそれぞれのご都合である。
自分が豊かになるため、他人を虐げるのは、閃光を受け止め発進する者が、発信する時には望んでいなかったことだ。
殉教も、発信時の意図とは違う。
後付けだ。
命を落とした人を、気の毒に思う。
発信時の意図と違うことをするのは、何かしらの報いを受けるということを肝に銘じ、世の中を見ていくことが必要である。
当然、プーチンにも報いはあるし、偏りにも報いはあるし、やり過ぎにも報いはある。
ということで、私にも。
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