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ブログ・セックスのすすめ・進め2・またまた同じこと
さて、私は、最近、SNS等で、綺麗な女優や女性タレントのファッションにより、過度に身体の部位を意識させる形容について、投稿する側とされる側に、それぞれ、色々な思いがあると感じつつ、このことは私が書いてきたものの根幹にかかわることなので、私の筋について書いていきます。
これは私にとって、大きな問題点です。
問題というのは、ごくごく最近でも書いていますが、人々が過敏に過激ファッションと評することです。
その過激ファッションと捉える日本の保守的センスを、変えていかなければいけないと思っているのです。
一つの言葉の選択で、その言葉を投げかけられた人は、何らかの反応をします。
例えば、とても似合うと言われると嬉しく思うでしょう。
ストレートに似合わないと言われるのも、全く初対面の他人に言われるのと、気心知れた人に言われるのとでは、受け止め方が違います。
ブティックの方に、直接似合いませんので、その服は止めた方がいいですよ。と言われるより、お客様のお顔は華やかですので、こちらのご洋服の方がお似合いと存じます、とかお似合いですよ、とか言われた方が、気分を害すことは少ないと思います。
SNSも個人に意見をぶつけるのであれば、その程度の気遣いは必要かもしれません。
気分を害する内容であれば、読み込んだ後には、気持ちを整理する必要に駆られますし、強烈に辛辣な文章であれば、心の中で無視する必要があります。
それが出来なければ、大きなストレスになります。
現在であれば、公然わいせつ的な服装でも、過去では、そうでなかったものもあります。
時代が変われば、服装も変わっていくでしょう。
科学が発展すれば、好きな人の前では、セクシーなものに変わったり、そうでなければ今の時代のような地味な服装に、瞬時に変わったりする素材が、出来るかもしれません。
とても、綺麗でスタイルの良い女性だとか、地味で、とても汚れた服を着て、髪の毛、身体自体が汚れていても、目がキラキラして可愛いとか、顔が小さく、目鼻立ちがはっきりしていて外国人のようで、特に唇が艶めかしいところが良いとか、同じ人が対象でも、美しさを感じる人と感じない人とかの感性も、人によって色々あるでしょう。
ここに、日本と全く違う環境の国の人を引き合いに出して、日本人のファッションを語るのは、SNSの弊害を露呈させるものとなってしまいます。
つまり、行き過ぎた論調を拡散させてしまいかねないと持っています。
人気のインフルエンサーとか、SNSの先駆者は特に強い影響を及ぼしてしまいます。
中年男性の普段着が、国によっては、当たり前の格好で妻が何も指摘しない国と、みっともないから近所で、その格好で歩かないでと、お叱りを多く受ける国とは、全く環境が違います。
私達の子供が履いた靴をリサイクルとして払い下げ、それを喜んで履いている別の国の子供たちを見窄らしいと冷たい目で見ますか?
下唇に棒を刺し、次第に大きくして皿のような大きな飾りをしている部族の女性に、その飾りは装飾性としては、口ピアスには及ばないといった視線を浴びせますか?
環境の違いによって、全くファッションは異なる歩みを進めてきています。
日本は、和服から西欧諸国のファションを取り入れ、残念なことにコルセットをはめ、胸の谷間を強調するドレスを着るまでは、短足、貧乳(女性方々ごめんなさい)だったせいなのか、受け入れませんでしたが、日本人の体形に合う服装が発展してきました。
そして現在に至る過程で、とてもエロス漂うセクシーなデザインの服も生み出されてきたりもしていたのです。
しかし、ここにきて私達の若い時代の女性よりも、確実に平均身長が伸び、その分、上半身でなく下半身である足が長くなって、当時でいうモデル体型の女性が大勢を絞めてきています。
その中で、何故ファッションだけが、先祖帰りしてしまうのか、と思います。
ファストファッションと言われる安くて機能的な服に魅力を感じ、購入する人が増えたためだと思いますが、それこそ、これらが似合う人はモデル体型をしている人だけです。
このままでは、それ以外の人は、自分の個性が打ち消され、目立つことが嫌いの、人民服化されそうなファストファッションに足並みそろえて身を包み、影響力のある批評に疑問を持つこともなく、簡単に催眠術にかかったようになります。
それは、一般大衆モデルにしかなれない程度の容姿の者が集う、群れの一因に過ぎなくなってしまうことと同じだと思うのです。
こうならないためにも、好みは人それぞれに違いはあることを踏まえたうえ、受け止める側のセンスを一層磨いていくことが、とても大事なことでもあると、考え直さなければなりません。
ファッションは、それを選択した人の意図があるわけですので、受け止める側は、その人の自由を尊重し、受け止める側のセンスを上げていくことが、人格を高めることにも繋がっていくと思います。
私の場合を例にとると、エロスを感じるときとは、エロスを発信している方の一瞬の輝きや何気ない動作を、目の中央当たりから鼻の下の方へと感じ、私自身の気持ちのヘロヘロフニャフニャとした癒しにもなって、エロ爺としての造詣を深めていくことにも繋がっていきます。
発信している人の理解にも繋がっていくのではないかと、言いたいのです。
そして、私がそうであるように、どんなに厳しい規制をされたとしても、その範囲の中でも受け止め方一つで、妄想や空想、想像が膨らんでいきます。
それを他人がコントロールすることは、できないということも理解しないといけません。
コントロールできると思うのは、思い上がりです。
私には、この思い上がりについても、反発する意味で、述べたいことがあります。
それは、露出が当たり前の世界になれば、許容範囲が広がり、それが当たり前になっていくということです。
抑圧された欲望のはけ口を、歪になることを防ぎ、当たり前のことを当たり前に捉え、当たり前のエロスの感性と性欲とその解放方法を身に備えた後、誰もが行う生殖行動を恥じることなく当然であると、個々の知識、意識、肉体、細胞に深層させていくことが重要であると思っています。
私は、これらの事が、科学者や医学者、心理学者等には、当然の事であると、捉えられてはいるものの、その一方で、前者を含めた大多数の一知識人が知識武装により、僅かな風紀の乱れも許さないのは当たり前といった考えが、過剰に発信がされることで、多くの者の素直な感情を歪められていき、これから増々、性欲の抑圧や、無精子症等生殖器の退化、EDの増加、マッチングミスといったことに繋がって、出生数にも影響を及ぼしていくと思っています。
性犯罪は許されぬことですが、エロスと露出と性欲と公然と発信を歪曲化させないように気を付け、エロスについては、敬意を払っていくことが大事だと思っています。
特に、美しい方についての定義は、それぞれあると思いますが、先頭を切って積極的に発信されている方については、嫉妬、やっかみ、自分の者だけにしておきたいといった独占欲を取っ払い、尊敬していくことが、私にとって、何ものにも代えがたいと思っています。
又、それらを当たり前にすることができれば、性犯罪の減少と出生の増加に繋がると、強く思っている次第です。
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